(※2019/11/21 記事更新)
私が小学校五年生の時だった。
家族で、日帰りのドライブの途中で、交通事故の現場に出くわした。
今でもインパクトありすぎて脳裏に焼き付いているが、
バイクから上がる水蒸気の湯気。
峠道(急な坂)のトンネル内のカーブの下り。
転がっている二台のバイクとボンネットがへこんだハッチバックのファミリーカー。
トンネルの壁際には、横たわって動かない人と、その人のヘルメットを必死で脱がそうとする人。
道路にはガソリンかオイルか、わからないが、それらしき液体が半径1メートルぐらいはひろがっていた。
初めてそういう現場を目撃した私は、『あんなに危ないものには絶対に乗らない。』
『親を泣かせてしまう。』と両親の前で言ったらしい。
その時の光景はハッキリ覚えているのに、その時言ったことは覚えていない。
今になって思うとなんて自分の都合のいいように記憶がないんだ。
反抗期~バイクとの出会い~現在。
その後、中学生になると反抗期を無事にむかえ、同期の不良イキリ少年たちとつるんだり、無免許で原チャリ乗り回したり。アホな事ばっかしてた。
高校生になったら無事、中免を取った。
私の通う高校はバイク通学は確か禁止だった。
堂々と学校近くまで乗っていき、公園の日陰に停めておいてそこから学校の正門までは歩いて行っていた。
バイクに乗りたいためにバイク通学はこそこそ隠れてやってた。
無免許で原チャリ乗り回してたりしてた時は、ほんとによく母親に怒られてた。
本気で心配かけたし、迷惑かけたし、小五の時に言ったこと守ってない嘘つきだし、
『ごめんな、母ちゃん。アホな息子で。』
言った事ないし、今更、年数経ちすぎて言えないし、ワシもう38だし。
今更、面と向かって言うことでもないから、この場で言っとくわ。
免許とってからも、しばらくは、そんな危ないもんやめとけ。と、何回か言われたが、
自分が友達とツーリング行った時の話を楽しそうにするからか、そのうち何も言わなくなった。
お土産を買っていくと、背中を向けたまま、
「そんなもんいらんし、無事に帰ってこい!」
なんだよ。こっちは楽しく土産選んできたのに!と毎回、心の中で思っていたが、
こんな短い言葉なのに重みがありすぎて、何も言い返せなかった。
車の免許取ってからも、バイクは降りたことがなく、今まで乗り続けている。
バイクショップのメカニックも経験した。
バイクに関わってない人生、
バイクに乗ってきてない人生を、今は想像できない。
あの時、自分が言った事をずっと覚えていて、バイクとは無縁の人生を歩んでいたら、今頃は何をしていただろう・・・。
親には嘘をついた事になるが、バイクの楽しさを知ってしまった人生を歩んで来た自分が今いる。
小五の時の自分と、その時の親の前に、今の自分が表れて、
『お前はバイクの楽しさを知ってしまうんだぞ。』
と、言っても、絶対に理解されないんだろうな・・・
両親は、私がバイクに乗ることについて、何も言わなくなったが、
私の趣味を理解してくれてるものだと、勝手に思っている。
最初から両親がバイク乗りの家庭なんて、とても恵まれてるし、羨ましい。
私も親になり、もうすぐ4歳になる息子がいる。
やりたいことを理解せずに、ただ、危険なイメージだからやめとけ。という親には絶対になりたくないし、ならない。
子供の興味の芽を親の勝手な都合で摘み取ることはしたくない。
それが、たとえ危険な事でも理解してあげ、危険を十分に教えてそれでもやりたいと言うのなら、自由にさせてみる。
最後にもう一言、『ごめんな、母ちゃん、バイク馬鹿な息子で。』
おわり。